あの夏のルカ
映画好きが高じて字幕翻訳講座なるものを企画しているのだが、その講座にゲストとして登壇をしてもらった知り合いのラジオDJ野村雅夫さんが、ディズニーの新作アニメ『あの夏のルカ』を紹介されていた。何でもイタリア人監督初のディズニー映画で、イタリア映画へのオマージュもたっぷり含まれているらしい。この「オマージュ」という言葉に引っかかった。私自身、洋楽をセンス良く盗用して自らの楽曲にしてしまうフリッパーズギターに心酔して、学生時代はその元ネタとなった80年代の洋楽や映画のサウンドトラックを追い求めた経験がある。だが最近はそれもどうなのだろうと思い直している。音楽でも映画でも、愛のあるオマージュや効果的な盗用は許せるのだが、ただただ過去の名作を再現するだけなら、創造力の欠如にすぎないのではないか。それに、その元ネタがわからない鑑賞者は置き去りを食らうわけで、一部のマニアのみが理解して優越感にひたる「オマージュ」にどれだけの意味があるのだろうと思うようになった。
何はともあれイタリア人監督の作品ならば見逃せない。さっそく配信サービスDisney+に登録して『あの夏のルカ』の鑑賞してみた。あらすじは以下のようなものだ。
人間に恐れられているシー・モンスターの少年ルカ・パグーロは、同じシー・モンスターである両親、そしておばあちゃんと一緒に海底で暮らしている。シー・モンスターたちも人間に姿を見られてはいけない掟のもとに行動しているのだが、海底に沈んできた目覚まし時計や蓄音機などから、人間の住む陸の世界に興味を持ったルカは、一足先に陸地で生活をしていたシー・モンスターの少年アルベルトと知り合い、彼に後押しされる形で、両親に内緒のまま陸地に上がるのだった。乾いた場所では人間の姿になるシー・モンスターの性質を活かして、水に濡れないように気を付けながら近くの港町ポルトロッソに潜入したルカとアルベルトは、憧れの乗り物ベスパの獲得を夢見て、夏休みで港町に来ていた女の子ジュリアとともに、三人でトライアスロンの大会に出場することを決意する。
正直、鑑賞していてもどこにイタリア映画のオマージュがあるのかはわからなかったが、それは私が古いイタリア映画に詳しくないからだろう。ネットで調べた情報によると、監督のエンリコ・カザローザは、宮崎アニメからの影響を受けているらしく、ポルコロッソのモデルとなったチンクエ・テッレの港町ヴェルナッツァの描き込み方や、おいしそうにパスタを食べるシーンなど、宮崎アニメに近しいものは感じた。
それよりも気になったのが、ところどころに挿入されているイタリア語のセリフだ。英語音声と日本語字幕で鑑賞したのだが、「ラガッツィ」(ねえ、きみたち)だったり、「インベチッレ」(まぬけめ)だったり、セリフの端々でイタリア語がそのまま使われている。その極めつけが「ピアチェーレ、ジローラモ・トロンベッタ」というセリフだ。初めて陸地に上がったので人間の作法など何も知らないルカに対して、アルベルトが挨拶の仕方を教えるシーンで、握手してから「ピアチェーレ」(初めまして)と言って自分の名前を言う。このセリフは物語のラストの大事なシーンでも出てくるのだが、アルベルトにそう言われたルカが聞き返す。「ねえ、それってどういう意味?」アルベルトは「知らない。調べてくれ」と答える。
確かにジローラモ・トロンベッタという名前の人物など、この映画には登場しない。これはイタリア語の言葉遊びで、アルベルトはルカの手を握り「ピアチェーレ、ジローラモ・トロンベッタ」と言いながら、握った手をくるくる回し、次に手を自分の体のほうに少し引き寄せる。この仕草が、「ジローラモ」と発音の似ている「ジーロ・ラ・マーノ」(私は手をくるくる回す)の動き、「トロンベッタ」(トランペット)を演奏する動きを表しているというわけだ。だから「知らない」とアルベルトが言っているのは冗談で、主人公のルカと映画鑑賞者に、お楽しみのなぞなぞを残したということなのだろう。
字幕翻訳講座をやっているということで、これを字幕にするならどうしたものかと考えてみた。「初めまして。手回しトランペット吹き太郎です」? いやいや……。日本語版でもイタリア語のままだし、実際こういう言葉遊びがいちばん翻訳しにくい。だがこれは、イタリア人なら誰しもが簡単に解けるなぞなぞであり、それを最後に持ってきたのは、アメリカのディズニーでアニメを制作するエンリコ・カザローザが、生まれ故郷イタリアに捧げた最大のオマージュなのかもしれない。映画のオマージュはさておき、イタリアへの愛は感じる作品だった。
『あの夏のルカ』
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