第8回「イタリア映画よもやま話」

 ルカ・グァダニーノと「他者の目」

ラジオ番組である映画評論家が「現在グァダニーノは、国際的に評価できるほぼ唯一のイタリア人監督」という趣旨のことを述べていた。裏を返せば「現代イタリア映画は不作だ」という氏の指摘に、憤慨というより、改めて痛感させられた。イタリア映画はここまで認知度が低いのか。近年アカデミー賞や三大国際映画祭で賞を獲っている監督もいるし、これからが期待できる国内の若手も育っている。それでも、各国の映画に注意深くアンテナを張っているはずの映画評論家をもってしても、イタリアでめぼしい監督はグァダニーノだけという認識なのだ。

では世界的に唯一認められているグァダニーノ監督とはいかなる人物か。1971年シチリアの州都パレルモ生まれ。母がアルジェリア人で、幼少期はエチオピアで過ごしたこともあったが、高校までパレルモで過ごし、高校卒業後ローマ大学に通い、『羊たちの沈黙』で知られるアメリカ人監督ジョナサン・デミについての論文で文学部を卒業する。20代前半からドキュメンタリーを撮りはじめながらキャリアを積み、2005年にイタリアのベストセラー青春小説『おやすみ前にブラッシング100回』を映画化した『メリッサP青い蕾』で監督を務める。原作の人気から大いに注目が集まったが不発。その後、長編映画としては2009年に『ミラノ、愛に生きる』、2015年に『胸騒ぎのシチリア』、2017年に『君の名前で僕を呼んで』の「欲望の三部作」を発表し、その実力を世界に知らしめた。

欲望の三部作に共通するグァダニーノの特徴は、同性愛に目覚めた青年や、浮気をする既婚者など、危うい愛を、イタリアの美しい情景のなかでエロティックに描くというもので、どの作品にも、いかにも映画の玄人が好む詩的な映像美がふんだんに盛り込まれている。

個人的には、留学した当初、ベストセラーの映画化という触れ込みに誘われて語学学校の友人たちと『メリッサP』を観に行ったことがある。もちろんグァダニーノが監督だったことなど気づいていなかったし、遠い記憶をたぐりよせると、やたらとくどい性交渉の場面に辟易としていた気がする。だが、いま思い返すと、それも後のグァダニーノ作品と同じ詩的な性描写だったのかもしれない。ベストセラーを映画化したエンタメ映画だとたかをくくっていた当時の私が間違っていた。

ただ、改めて欲望の三部作を見直して思うのは、彼がちっともイタリア人監督らしくないということだ。『胸騒ぎのシチリア』ではティルダ・スウィントンが、『君の名前で僕を呼んで』ではティモシー・シャラメが主人公となり、それぞれ異邦人として訪れたイタリアで愛のドラマを繰り広げる。従来のイタリア人監督ならイタリアの地域性や社会的文脈に重きを置くのだが、グァダニーノは、そこを完全に無視して、ただただ美しい舞台美術としてイタリアを利用している。いわば、イタリアを舞台にした外国映画のようだ。イタリア人でありながら、どうしてこのような「他者の目」を持てるのかという謎には、彼が同性愛者であることが関わってくるのかもしれない。とにかく、彼の映画には、イタリア人でないとわからないだろう政治ネタや文化的バックグラウンドなどは皆無だ。ゆえに遠く離れた日本でも、すんなりと受け入れられ、ファンを増やしているのだろう。

 そんなことを考えていたら、イタリア映画祭のオンライン版で公開する無料動画として、グァダニーノの短編に字幕をつける仕事をもらった。『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!』という題名の10分ほどのドキュメンタリーで、都市封鎖から2か月が経った2020年5月に、故郷のシチリアをグァダニーノとそのクルーが訪れるというものだ。

iPhoneとiPadで撮影したかなりラフな作品で、彼が思い出の場所や旧友を訪ね、最後に友人の脚本家デヴィッド・カイガニックからコロナ時代を生き抜く哲学を教わる。曰く、コロナによる巣ごもり生活では、森の暗喩を考えずにはいられなかった。森が健やかでいるためには、周期が来れば焼き払う必要がある。世界中で広がる新型コロナウィルスの猛威は、ある視点から見れば大災厄だが、別の視点から見ると、森を焼き払う周期が来ただけのこと。自分の捉え方次第で、現在の状況はプラスにもマイナスにも働く。ゆえに、自分を見つめなおし見極めることが大事だ。カイガニックのこの考え方は、奇しくも「他者の目」を持っているグァダニーノが、故郷のパレルモに帰るという行為で実践されている。ラフで何気ない会話が、彼にとっては自分を見つめなおす大きなヒントになっているのかもしれない。そういった意義を考えると『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!』は、グァダニーノのなかで最もイタリア人らしい作品と言える。

この記事を書いた人
二宮 大輔

観光ガイド、翻訳家 2012年ローマ第三大学文学部を卒業。観光ガイドの傍ら、翻訳、映画評論などに従事。訳書にガブリエッラ・ポーリ+ジョルジョ・カルカーニョ『プリモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)。

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