Johnny Pacheco逝去〜Faniaを振り返る③
今回はファニア特集のラストということで、お気に入りのファニア関連アーティストや名曲たちをどんどん紹介していきます。
まずは、ラテンピアノのレジェンドとして現在も84歳にして活動を続けているエディ・パルミエリ。「ハード・ラテン」の生みの親と言われる彼の真骨頂が、この「Oyelo que te conviene」です。
この曲は「Absolutely the best of Eddie Palmieri」というアルバムに収録されています。この圧倒的なスピード感と熱気には鬼気迫るものがあり、20世紀のラテン界に残された録音物の中でこれを超えるものは存在しないとすら思えます。
もう一つオススメなのが「Live at Sing Sing」というライブアルバム。こちらはHarlem River Driveというバンドを率いてNYのシンシン刑務所で72年に行った慰問ライブです。
このバンド、ニッキー・マレーロにイスマエル・キンターナ、アンディ&ジェリー・ゴンザレス兄弟という強者揃いなのですが、なかでも強烈なのが、オルガンを操るチャーリー・パルミエリ、エディの弟です。縦横無尽にドライブする前のめりなオルガンとともに囚人たちが熱狂へと誘われ、暴動寸前の歓声と野次が飛び交っているところに胸が熱くなります。
同じく鍵盤奏者としては、「El Judio maravilloso」の愛称を持つユダヤ系ピアニスト、ラリー・ハーロウもファニアを語る上では外せません。ピアニスト兼プロデューサーとして数多くのアルバムに携わり、以前に紹介したファニアのドキュメンタリー映画でもほぼ彼がピアノ
を弾いています。
彼の作品群にはサルサの曲が多いのですが、その中で異彩を放っているのが「El exigente」というアルバムです。60年代のサイケロックを思わせるジャケットが物語るように、サルサの曲は半分足らずで、あとはストリート感たっぷりの気だるいブーガルー※がずらりと並んでいます。若者ウケするパーティーミュージックであるブーガルーを、新機軸として売り出していた当時のファニアを象徴する一枚です。
※ブーガルー…60年代後半から70年代初頭に流行した、ソウルやR&B調のラテン音楽。英語で歌われることが多い
最後に、代表的なパーカッショニスト3人を紹介します。一口にパーカッショニストと言っても音楽性や演奏スタイルは三者三様で、並べてみると非常に面白いです。
1人目は、「ウォーターメロンマン」や「アフロブルー」などのジャズのスタンダードの生みの親、モンゴ・サンタマリア。次に挙げた2人のような派手なステージングではなく、堅実でジャジーな大人のプレイが彼の特徴です。出身地であるキューバのアフロ系リズムに関しては、ファニア随一のプレイヤーではないでしょうか。誰よりも土着的でマジカルな香りを放つモンゴの太鼓を堪能できるのが、この曲です。
2人目は、日本を含め世界中に巻き起こったマンボブームの立役者である「マンボ・キング」、ティト・プエンテ。彼の特筆すべき点は、素晴らしいビブラフォン奏者でもあること、そしてティンバレス(簡易版のドラムのようなラテンパーカッション)をフロントで演奏し、地味な存在であったティンバレスを花形へと昇華させたことです。
また、演奏するときの表情がとってもラブリー!「シンプソンズ」でアニメ化されたり、ファニアのメンバーが時々出演していた「セサミストリート」でもお茶目で可愛らしい一面を見せています。
NYでバーを経営していたこともあったのですが、私がNYを訪れた際には残念ながら閉店していました。
3人目は、長年にわたりファニアのリズムを支え続けた「ミスター・ハードハンズ」、私が最も敬愛するコンガ奏者のレイ・バレットです。
彼はファニアの誰よりも奇想天外なサウンドメイカーでした。ジャズやファンクやロック、フュージョンなどを自由自在に取り入れ、NYのラテンシーンを一気に面白くさせた革命児的な存在と言えます。こちらの「Together」を筆頭に、キレのいいファンク系の曲は今でもDJに絶大な人気があります。
また、彼が全て書いていたかどうか定かではありませんが、歌詞にもグッとくるものが多いのがレイバレットの凄いところです。
移民として苦しい生活を余儀なくされたNYのラティーノたちにとって、きらびやかなステージで同郷のスターたちが演奏するサルサは大きな心の支えになったことでしょう。彼らの残した作品たちはYoutubeやAppleMusicのファニア専門チャンネルからチェックできますので、ぜひ当時のNYの雰囲気を想像しながら聴いてみてください。