『天空の結婚式』 同性愛の新しい描き方
LGBTQのQとは何か。そもそもLGBTという言葉が出回りはじめて、だいぶたってからようやくL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)の略称であることを覚えたというのに、いつの間にかしれっとQが追加されているではないか。これはどういうことか。
インターネットがあっさり答えを教えてくれた。Qはクエスチョニング。つまり自分が男性、女性のどちらの性を愛するか決められない、もしくは決めていない人のことらしい。ちなみにLGBTという呼称は、2006年、性的指向に関わらずすべての人を対象にした国際総合競技大会ワールドアウトゲームズの宣言で用いられ、世界に広まったらしい。ではQというのはいつごろからそこに加わったのか。近年マスコミが使い始めたように思うが、どのタイミングだったのか。次々と湧いてくる疑問を解消しようと調べていると、LGBTQIA+という用語を発見してしまった。Iはインターセックス(男性とも女性とも断定できない身体構造を持つ人)、Aはアセクシュアル(男性にも女性にもれない感情を持たない人)、+はそれ以外の性的マイノリティーの言葉では定義できない人だそうだ。多様な性的指向を尊重することに異論はないが、呼称の変遷を追っていると、なんだか疲れてきた。
疲れた頭でさらに考えを巡らせると、LGBTという呼称が使われはじめた2000年代後半から、イタリア映画でも同性愛を描く映画がぐっと増えた。世の動きを反映した当然の結果だろう。もちろん、それ以前にも同テーマを扱った作品はあるし、なんなら中年紳士が美少年に恋をするルキーノ・ヴィスコンティ『ヴェニスに死す』などは、映画史に燦然と輝く名作だ。だが当時は、ローマに拠点を置くカトリック教会が、基本的に同性愛を自然に反する罪深い行為とみなしているため、映画で同性愛を描くことはカトリックを挑発することになり、まさしく「異端」というイメージを伴っていた。
現在もそのイメージは少なからず残っているし、経済協力開発機構の2019年の報告書によると、イタリアにおける同性愛の受容度は日本よりもずっと低くて、加盟国36か国中30位とのことだ。それでも、過去と比べると、ずっとカジュアルに、いわゆる娯楽映画でも同性愛を扱うようになった。そしてその傾向は動画配信サービスの台頭とともにさらに加速する。これがちょうどLGBTにQが加わったころだろう。群像劇のドラマには、必ずひとりは同性愛者の主人公が出てくる。その人物設定も、厳格な男性社会であるロマ族の跡継ぎだったり、孫がいる初老の男だったり、実に多様になってきた。まさにイタリア映画における同性愛の描き方が、新たな段階を迎えたという印象だ。
今年の1月に日本で公開が始まった『天空の結婚式』もそんな「新たな段階」の映画だ。ベルリンで役者として暮らすアントニオが、同棲している彼氏パオロにプロポーズする。アントニオの両親に結婚の報告をするために、故郷である中部イタリアの分離集落までやってきた二人だったが、アントニオの父親は一見リベラルなようで考え方が古く、どうしても二人の結婚を認めることができない。いっぽうアントニオの母親は、頑固な父親を納得させるためにも、強引に結婚式の話を進める。
もともとはアメリカでロングラン公演されたミュージカルを、コメディ映画を得意とするアレッサンドロ・ジェノヴェージ監督が2018年に映画化したのが本作だ。父親の無理解に苦しむ同性カップルという、さもすれば重苦しいテーマになりそうなところを、ジェノヴェージらしく、コミカルでエンターテイメント性の高い作品に仕上げている。
そしてこの映画が「新たな段階」だと感じられるのは、なんといっても二人の結婚式だ。先述のとおり、カトリック大国イタリアは、そこまで同性愛に寛容ではない。2016年になってようやく、同性カップルに結婚に限りなく近い権利を公的に認める「シビル・ユニオン」法が施行された。同性の結婚が認められていないイタリアで、村を挙げて歌って踊って盛大な結婚式をぶち上げる。それは、恐ろしく陽気であっけらかんとした形の、状況改善への訴えかけに他ならない。彼らの結婚式は、過度に深刻ぶらず、なんなら楽しみながら問題に向き合うイタリアの国民性を象徴するシーンと言える。
ところで、冒頭でLGBTQIA+という用語について話したが、『天空の結婚式』を含め、イタリア映画で同性愛と言えば、たいがいがゲイのカップルの話だ。映画が世の中の動きを反映するというのならQやIや+を主人公とする映画だってあっていいはずだ。その点はまだ映画が現実世界に追いついていないのかもしれないが、イタリアで同性カップルの結婚が認められる日も、映画がさらなる段階へ突入する日も、さほど遠くないのではないか。楽しい空気があふれる『天空の結婚式』を見ながらそんな感想を持った。